やっとトイレまで徒歩解禁となるも束の間、再び点滴に繋がれてしまった。
点滴棒(?)連れてやったら、歩いてもいいそうだが、面倒くさいのでベッドで寝転んでる。
それにしてもいろんな人がいるもんだ。
西日がまぶしいだ、飲み物を入れ替えろだ、何度も何度もナースコールをする人。
お医者さんや看護婦さんにがんばって食事をしているとアピールし続ける人。
おしっこしたいと朝から晩まで訴え続けるお婆さん。
寝ながら耳をそばだてているだけだから、私のように何も言わず横たわっている人の様子はわからない。
昔と違い、カーテンが高いので、基本、周囲の人とは顔を合わせないようになっている。
夜になると、雰囲気が変わる人もいる。
昼間は明るく気さくだったおじさんが何度もナースコールしたりする。
今も昔も夜は人間に恐怖を感じさせる。
夜の帳は私たちに安らぎと憩いを与えると同時に、恐怖と不安を与えることもある。それを目の当たりにする。

看護婦さんや配膳担当の方は、特に朝はバタバタされている。
先に紹介した、おしっこしたいと訴え続けるお婆さんは小用については自動的に排出できるよう管をつけている。
看護婦さんや配膳の方が何度も教えておられ、お婆さんもそのたびに
「ありがとう。迷惑かけました」と仰るが、5分もせぬうちに
「おしっこ行きたい、お願いします」と叫び出される。
国会等で「長生きこそ最高の医療」と答弁されることがあるが、「生きる」とはどういうことか、正直ここにいると不安になる。
このお婆さん、言葉が一切乱れない。
丁寧な言葉を使い続けておられる。
生まれ育ちがいいのだろう。
でも今の彼女を若き日の彼女は想像しただろうか?
『消費者』という言葉がある。
よくテレビのコメンテーターは「消費者は同時に生産者なんです!」などともっともらしいことを云うが、この病院で今、私の周りにいる方は皆さん、紛れもない『消費者』だ。
物価が上がっても給料が上がれば関係ない、というが日本人の23%以上は70歳を超えている。
うち半分は80歳以上だ。
物価が上がっても給料が上がれば問題ない、という論理はいったいどこの国について語ってるのだろう。
入院すると暇なせいか、いろいろ考えてしまう。
アカン!この後は明るく音楽の記事を書こう。

追伸
このブログを書いた後、食事を頑張って食べているアピールの人の事情が分かった。
お医者さんとある程度、食事ができれば家に帰れる、という約束をしているらしい。
がんばれ!じいちゃん!!!