国枝史郎は明治から大正にかけて活躍した小説家だ。
知る人ぞ知るというきらいがあり、知らない人は知らない。
ただ国枝死して未だ80年。その真価を問うにはまだ少し早いだろう。
国枝史郎の小説は、怪奇、幻想、耽美と表現される。
しかし泉鏡花や夢野久作に比すれば、よほど実証的だ。
その怪奇、耽美は登場人物の心の内にある。
人間だれもが持つ愛憎哀楽の心は、その折々に歪んで表現される。
そこに狂気が宿る。
狂気こそが人間の魅力であり、個性ではないか・・・そんなことを言う人もいる。
この朗読CDには、国枝史郎の短編時代小説6作が収録されている。
『北斎と幽霊』
『犬神娘』
『甲州鎮撫隊』
『正雪の遺書』
『天草四郎の妖術』
『赤坂城の謀略』
どの作品も歴史の一分岐に独自の視点と解釈を加え、物語としている。
西郷隆盛と逃避行をする美貌の僧・月照への愛着にのたうつ犬神の娘。
近藤や土方が甲州鎮撫隊として華々しく出立する中、一人江戸に残り養生する沖田総司と彼に纏わる女性たち。
由比正雪反乱の真実に、島原の乱の秘された正体、楠木正成乾坤一擲の大芝居・・・。
各々異なる『正・義=正しい言い訳』がある。他人と異なる正義を貫けば、当然、他者の正義との軋轢が生まれ、狂気となる。
『北斎と幽霊』、物語の起りは北斎の旧師・狩野融川の非業の死に遡る。
徳川十一代将軍・家斉の頃、朝鮮半島から使節団が訪れる。
老中・阿部豊後守の命を受け、絵師・狩野融川が贈り物の屏風絵『近江八景』を書き上げる。
ところが検覧の場で、阿部豊後守がなにげなく「見事ではあるが砂子が淡うすいの」と呟いてしまう。
普通なら聞き流すか、いったん引き取り時を置いて、そのまま再提出するところだ。
しかしこの融川、狩野派五代目の矜持甚だ高く、さらに快心の出来という内心もあり、
「お言葉は素人評かと存ぜられまする」と返してしまう。
こうなると万座の中だけに阿部豊後守も言葉を引っ込められない。
持ち帰って手直しせよ、いや必要ない、と口論になる。同席の林大学頭が助け船を出すが・・・。
実は葛飾北斎。この頃は全く無名だったが、元々は狩野融川の弟子だった。
うっかり師の絵に意見し、破門を言い渡されていたが、急に懐かしくなり、たまたま師匠の屋敷近くに来ていた。
見ると、見覚えのある師匠の駕籠。
ところが通り過ぎた脇に点々と赤い染み。
思わず駆け寄り、声をかけるが、くぐもったうめき声が聞こえるのみ。
駕籠の扉を開けると、割腹した融川の姿。
渾身の作を万座で辱められ、怒りのあまり、自ら腹を斬ったのだ。
無念、融川はその夜の内に息を引き取る。
うだつがあがらず、絵師を諦めかけていた北斎だが、この一件で心機一転。
師匠のように『媚びず、頼らず、己がこれと信じた絵を世に問おう』と決意する。
古書に曰く、呉下の阿蒙に非ず。
この後、北斎は『富士百景』『百人一首絵物語』『北斎漫画』『朝鮮征伐』『北斎画譜』などで世を驚かせていく。
そんな或る日、一人の立派な武士が、大量の進物を携え、北斎を尋ねてきた。
老中・阿部豊後守が入念の直筆を所望だという。
阿部豊後守、さすがに融川の一件以来、うつうつとして楽しまなかったが、この頃は少しばかり生気も甦りつつあった。
「どのような絵をご所望か?」と尋ねた北斎。
「その点は先生のお心次第にお任せせよとのご諚にござります」との返答を受け、不意に凄く笑うと、
「あっとばかりに驚かれるような珍しいものを描きましょう。」と依頼を受けるのだが・・・。
武士の意地と絵師の意地。
頑なな体面づくりの会話が生んだ悲劇が、北斎を生み、今新たな事件を生み出そうとしている。
融川の自死と、北斎の破門、老中・阿部豊後守の失脚という3つの事実を、人間の奇妙な愛憎哀楽で一つの物語に包み込んだ。
この怪奇、この耽美は超常現象ではない。
私も、あなたも、生み出しうる人間の心の産物だ。
国枝史郎が綴るのは、そういう人間の割り切れない感情と、そこから生まれる『美』なのではないだろうか?