入船亭扇辰という噺家はご存じだろうか?
ちょうど還暦にさしかかったぐらいと思われるので、噺家さんとしては一番いいときではないだろうか?
九代目・入船亭扇橋の弟子で、2002年に真打に昇進されました。

上方落語ではあまり話題にならないが、江戸落語では前座、二つ目、真打で、大きな違いがある。
まず前座は演じるネタが限られており、寄席の雑務もこなさねばならない(三遊亭白鳥『老人前座じじ太郎』参照)。
二つ目になるとトリこそできないが、独演会を開いたり、テレビ出演も解禁される。
真打になると寄席のトリが務められるようになり、『芝浜』『文七元結』など長尺の人情噺や、『らくだ』『高津の富』など大ネタもOKに!
扇辰師匠は俗にいう『もうからない噺』=『コスパの悪い噺』が得意で、『徂徠豆腐』や『三井の大黒』などもよくやります。
つまり『もうからない噺』とは『労多くして笑い少なし』、お客さんがなかなか笑ってくれない噺のことなのです。
落語をお笑いの延長上に考える人が多い関西に比べ、関東では講談などと似た伝統話の一つと考える人も多いので、十二分に成立するのかもしれません。
今回ご紹介の 入船亭扇辰『甲府ぃ』はどちらか云えば人情噺になるでしょうか?
貧乏人の田舎の青年・善吉の出世物語です。簡単にあらすじを紹介します。
幼い頃に両親を失った善吉。叔父夫婦に育てられ、年頃になると江戸へ働きに出ることに。
法華の宗徒だったので身延山にまず願をかけ、江戸見物と洒落込みますが、好事魔多しは世の常。
財布を盗まれ、空腹のあまり、豆腐屋のおからをペロリ。
店員に見つかり、さんざんお灸を摺られているところに通りかかったのが、この豆腐屋の主人。
不憫に思い、聞けば同じ法華の宗徒。「よければ、うちで働かないか?」と声を掛けます。
南無妙法蓮華経。これも法華経のお導き。善吉、住み込みで働くことに。
とはいえ何事も鈍で融通が利かない善吉ですから、担ぎ売りさえ上手くいきません。
「豆腐ぅ~♪ 胡麻いりぃ~♪ がんもどきぃ~♪」の売り声さえもつれてしまう始末。
けれど善吉は頑張りました。なにせ帰るところがありません。
叔父たちにこれ以上迷惑はかけられません。ここで踏ん張るしか道はないのです。
来る日も来る日も天秤棒を担ぎ、声を張り上げ、豆腐を売り歩く。
お客さんが困っていたら助けてやり、こどもがムズがれば一緒にあやし、そうこうするうちにいつしか客がつき、店の商いもにぎやかになります。
一方、豆腐屋の主人と奥さんには悩みが一つ。
一人娘のお花に婿を取り、跡継ぎを決めねばなりません。
奥さんは言います。
「善吉はどうだい。よく働くしね。お花もまんざらじゃないみたい」
とはいえ豆腐屋の主人としては・・・お花がいいと言ったって善吉がどう言うか?
いや俺の可愛い一人娘を嫁にやろうというのにあいつが拒むのはふてぇ料簡だ。
俺の娘に何の文句があるんだ。
器量だってそんじょそこらの娘にひけは取らねぇ。
いやむしろ可愛い。
肌だってうちの豆腐に似て見事なまでのきめの細かさだ。って話もしないうちに熱くなる。
まぁ結局、二人は相思相愛・・・店はますます大繁盛。
そこで善吉、ふと身延山に願をかけたまま、願ほどきのお参りに行かねばならないと思い立つのですが・・・。
とまぁ、こんな話ですが、聴き処は豆腐の売り声の変化。
下手でどうしようもなかった売り声が次第にいい声になり、豆腐がうまそうに聞こえる声になっていきます。
売り声がこれほど上達するまで、善吉は一生懸命、誠実に一心不乱に働いたのです。
働いている姿を精妙に語ったりしないのですが、この売り声の変化だけで、善吉がどんな半生を歩んだかが物語られます。
涙が出る、という人情噺ではありません。
でも「人間っていいな」と思わずうれしくなってしまう一席です。
入船亭扇辰の落語をぜひ一度、お聴きください。
《参考》
▷ 落語CD/DVDはこちら
▷ 林家/入船亭の落語はこちら
▷ 春風亭柳枝の『甲府ぃ』
▷ 三遊亭圓太郎の『甲府ぃ』