忠臣蔵銘々伝『赤垣源蔵 徳利の別れ』

忠臣蔵を語ってみる 時代劇&歴史ネタ

久しぶりに忠臣蔵銘々伝の一つをご紹介。
先に紹介した『南部坂 雪の別れ』は大石内蔵助の物語なので『忠臣蔵』本篇ともいえるが、本作はまさに銘々伝。
討入前夜の一浪士の物語だ。

赤垣源蔵 徳利の別れ

浪曲や講談では『赤垣』と称されるが、正しくは『赤埴』。
本記事では通称の赤垣で統一したい。
浪曲や講談、歌舞伎、映画、ドラマなどにも取り上げられた名シーンだ。
その時々で細部に違いがある話だが、今回は私が一番好きな設定で紹介したい。


坂東妻三郎『討入前夜』より

坂東妻三郎『討入前夜』DVD未発売

討入前夜。雪がチラチラ降り始める中、赤垣源蔵は兄・塩山伊左衛門宅で案内を請うた。
「兄上はご在宅か? 本日は兄上と語り明かしたく罷り越した」
片手に貧乏徳利を掲げ、うれしそうに語りかける源蔵に、女中のおたけは困ったように言う。
「源蔵さま、残念ですけど、ご主人さまは今夜は戻られません。」
飲んべで武骨な源蔵。この時はやけに子供っぽい、寂しそうな、本当に残念そうな顔をした。
少し悩んで言葉を継いだ。

「いや仕方ない。それでは姉上はご在宅か?」
伊左衛門の妻は、この義理の弟が嫌いだった。
赤穂家取り潰しで路頭に迷い、兄である伊左衛門を頼ってきたことはわかる。
腹違いながら剣の達人で一本気な弟と、伊左衛門が源蔵をとても大切にしていることもわかる。
しかしこの体たらくは我慢できない。
亡き主人の仇討をするでもなく、他家へ仕官するでもない。
この2年間、ただ無様に飲み歩き、時折来ては金の無心。女中のおたけをからかっては自分を慰めている。
伊左衛門がなぜ源蔵を庇うのか、彼女にはわからなかった。
源蔵の訪れを告げるおたけに、持病の癪が出て本日一日、床で臥せっている。
お会いするにもこのような成りでは・・・、と面会を断ったものだ。

「さようか。姉上にはお大事にとお伝えしてくれ。
 それとな、兄上の羽織を一枚、貸していただくよう頼んでほしい。
 今夜はどうしても兄と話がしたくて罷り越した。
 お留守とあれば致し方ないが、ぜめて羽織を兄と思い、一献傾けたい」
いつも陽気な源蔵が妙にしんみり頼む。

源蔵、衣文掛けに兄の羽織をかけ、兄がいつも座る場所に。
湯呑を二つ借り、兄の羽織の前に一つ、自分の前に一つ。
酒を汲む。

「お前が持ってきた酒? 安酒であろう。
何を仰る兄上。今夜は源蔵奮発しましたぞ。
徳利はいつもの貧乏徳利ですが、酒は灘の生一本。最高級です。
さぁ飲んでくだされ!」

源蔵はこの年の離れた兄が大好きだった。
妾腹だった源蔵は生後まもなく本家に引き取られた。
義母はできた人で源蔵を虐めたりせず兄と分け隔てなく扱ったが、源蔵にも遠慮があった。
父は厳しい人だった。
粗相をし座敷牢に入れられた折、婆やが塩むすびを作ってそっと差し入れようとした。見咎めた父は、
「お前は武士の子だ。戦で飢えたとき、恥をかいて目の前のむすびを選ぶか、飢えて死すことを選ぶか。
 迷うことなく死を選びなさい」そう諭された。

けっして蔑ろにされているわけではない、子供心にもわかったが、それでも寂しかった。
だれも頼れない、自分で生きていくしかない・・・そう思ったとき、助け舟を出してくれたのがこの兄だった。
素人相撲、叱られることを承知で兄は自分と一緒に行ってくれた。
妾の子と馬鹿にされたとき、兄は「源蔵は俺の弟だ」と言い切り、一緒に喧嘩し、一緒に泣いてくれた。
思い出は尽きない。

「兄上、最後にひとめ。ひとめ、お顔を拝見し、これまでのお礼を申し上げたかった・・・。
源蔵は兄上の弟に生まれ、幸せでござりました。」

ふすまの陰から様子を窺っていたおたかは、初めて見た。
泣きながら、笑いながら、酒を飲む。
そんな男を初めて見た。

その夜遅く帰宅した伊左衛門は、明け方にゆうべの報告を聞いた。
おたかが言うには、源蔵は他家に仕官が決まり、暇乞いの為に訪れたという。
会ってやらなかった妻に一目ぐらいあってやればいいものを、と小言は言ったが、赤穂家取潰し以降の源蔵しか知らない妻にはいた仕方ないとも思った。

「他には何も言ってなかったか?」
「お帰りの際、次はいつ頃お会いできそうですかとお尋ねしましたところ、
来年のお盆の頃かな、と笑っておられました」

おたかの返答を聞き、伊左衛門はエッ?と目を細めた。

そのとき、外で大きな歓声が上がった。
「討ち入りだぁー! 赤穂浪士が吉良の殿さまを打ち取ったぞぉー!!」
歓声の中、瓦版屋は確かにそういった。
「おたか。すぐに討入凱旋の中に源蔵がいるか見てきてくれ。」

おたかが走り去った数分後、伊左衛門は思った。
「俺は今、何を言った。
 いるかを見てきてくれ? いるに決まっているじゃないか。
 源蔵は亡き主君の仇も討たず、他家に仕官する、そんな男ではない!」

思わず、伊左衛門はおたかの後を追うように外に走り出た。
大通りにでると、赤穂浪士の一行が、吉良のみしるしを槍の穂先に立て、こちらへ向かってくる。
「おられました! 源蔵さま、おられました!」
おたかの声が耳に届いた。

そして伊左衛門は見た。
一行の中ほどに赤垣源蔵はいた。
返り血を浴びた姿で堂々と涼やかに行進していた。
「源蔵!」
声が出た。
いつの間にか妻が隣で涙ぐんでいた。
伊左衛門の声に気づいた源蔵が屈託なくうれしそうに微笑み、伊左衛門に、彼の妻に、おたかに大きく手を振った。

ああ、源蔵だ。
俺の自慢の弟だ。
伊左衛門の目に涙があふれた。



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