弊店のお客さまには、もともと懐メロや昭和歌謡が多いのだが、近頃よく出るのが『三波春夫』さんです。
三波春夫さんと云えば、昭和の東京五輪や大阪万博で歌われた『東京五輪音頭』『世界の国からこんにちは』が有名です。
アニメ『ルパン三世 ルパンVS複製人間・クローン』で『ルパン音頭』『銭形マーチ』を歌われたこともルパンファン、三波ファンの間では語り草になっています。
どの曲に陽気で明るく、前向きな歌でした。
三波さんはシベリアでの4年間の抑留中、仲間と共に浪曲や演劇を創作。それを演じることを精神的支柱にしたと語っています。
祖国に帰りついたとき、『歌の力』を実感していた彼は、より広い大衆芸術としての歌謡曲に挑戦する決意を固めていたと言われています。
シベリアで仲間を励ますために歌を披露していた三波さんだけに、自然と明るく元気な歌が多くなったのかもしれません。
三波春夫さんと云えば『歌謡浪曲』を広めたことでも知られます。
浪曲の語りと歌謡曲の旋律を融合させた『歌謡浪曲』は従来の演歌より物語性が強い楽曲を生みました。
1曲の歌を歌うというより、一種の歌謡劇を見せる、そんなイメージでしょうか。
次第に舞台演出にもこだわりが生まれ、「聴かす」から「魅せる」に三波さんの意識も変わっていったようです。
ちなみに『元禄名槍譜・俵星玄蕃』では歌を歌いながら、なにやら手を動かし前へ後ろへ大きく移動します。
令和では三山ひろしさんがやられていますが、あの手の動きは実は槍を遣っているのです。
浪曲師さんですから、もともと声がよく通ります。昔は本物の槍や模造槍を振り回しつつ、歌われていたとも聞きます。
しかし会場の巨大化もあり、マイクを使うことになると、槍が時折、スタンドマイクに当たってしまいます。
そこで槍の代わりに振付だけが残って、今に伝わっているそうです。
三波さんは2001年4月14日に前立腺癌で亡くなりました。
1994年の診断後も家族や一部の人以外には事実を公表せず、最晩年まで音楽活動を続けられたそうです。
最後の言葉は
「ママ、ありがとう。幸せでした」だったと報じられています。
昔は亡くなられると次第に記憶が薄れ、忘れ去られていきましたが、CDやDVDなどが普及したことで、往年の声やステージが今も楽しむことができます。
今、世界各地で1970~1980年代の日本のシティポップが話題になっています。
弊店にも「おっちゃん!ええ曲見つけたでっ」と言って、アバやビージーズを買いに来られた若いお客さんもおられます。
古い曲だ、古いアーティストだ、昔の歌だ、などと思いこまず、三波さんの曲も今ひとたび、聴いてみてもらえればと思います。
あなたにとっては初めての出会いになるかもしれません(^^)
《参考》
懐かしの歌謡曲/演歌/ナツメロはこちら