諸説あり? 本当の『俊寛』

諸説あり? 本当の『俊寛』 歌舞伎/能狂言/日舞 -伝統芸能-
諸説あり? 本当の『俊寛』

 『俊寛』というお坊さんのお名前、どこかで聞いたなぁという方もおられるかもしれません。
 今から約900年前、平安時代末期の平家全盛の時代に、京都東山の鹿ケ谷で藤原成経、平康頼と共に『打倒平家』の陰謀を計画。しかし、これが平清盛の知るところとなり、鬼界ヶ島(現在の薩摩硫黄島か、喜界島ではないかと云われる)に流刑になった高僧です。
 史実では1177年に流刑になったことと、1179年に島で没したことぐらいしか明確ではないのですが、『平家物語』『鹿ケ谷』『赦文』『足摺』『有王』にこの物語が綴られていたことから、人々の知るところとなりました。

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前進座『俊寛』

 『俊寛』の悲劇性は、流刑から1年後に他の二人が恩赦で都に戻れたにもかかわらず、俊寛のみ赦されず、島に留め置かれたことにありました。『平家物語・有王』では孤独とひもじさのため、すっかり落ちぶれ、海藻をまとった餓鬼のような姿となった俊寛に、元従者の有王が俊寛の家族が全員亡くなったことを告げ、俊寛が絶望のあまり断食して死んだと記されています。

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朗読と映像『平家物語 足摺』

 菊池寛がこの物語を元に書いた短編小説に、『俊寛』があります。弊店では今回、この朗読CDを取り扱うことになりました。
 『俊寛』はこの他に芥川龍之介も小説化し、歌舞伎文楽俚奏楽能楽日本舞踊映画新劇でも取り上げられています。
 通常、『俊寛』を取り上げるときは、平氏の親戚で後鳥羽上皇の側近として都で栄華を誇った人物の急転直下の落魄、孤独と悲惨な死を描くことが多いように思います。ただ菊池寛と芥川龍之介はさすがと云えばさすが、ずいぶんひねりを加えています。


 菊池寛も芥川龍之介も、描いたのは一人、島に取り残されてからの俊寛でした。

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【朗読】俊寛

 菊池寛は、当初は絶望で自殺さえ図ろうとした俊寛が、次第に生きること自体に向き合い、自ら魚を釣り、畑を耕すことで『労働の喜び』と『自然の恵み』を感じるようになる姿を描きました。島の若い娘を新たに娶った俊寛は、後に迎えの船が来ても「今の方が健康的で幸福だ」とこれを断ります。人間の持つ『環境適応能力と生存本能の逞しさ』を綴ると共に『幸福とはなにか?』を問いかけるような作品になりました。

 一方、芥川龍之介は、まぁ、正に芥川らしい解釈の作品を遺しました。これは菊池寛版へのアンチテーゼ、『そんなわけないやろ!?』という気持ちで書かれた気配があります。島に取り残された俊寛は、島民に『偉いお坊さま』と敬われ、芋や鶏肉は食べ放題、悠々自適で快適に暮らします。けれどもどこか鬱屈した気持ちが残り、昔の栄華も忘れられません。藤原成経が島に残して帰った現地妻に近づきますが、セクハラ親父と勘違いされ、張り倒されてしまいます。人間のエゴと滑稽さを痛感する作品になっています。


 『俊寛』の物語が、後年多くの芸能のネタになった背景には、彼の晩年が全て想像の域にしかないこととに加え、この人間の可能性の幅にあるのかもしれません。
 人間は孤独や妬みでいくらでも歪み自らを持ち崩す一方で、一旦達観し気持ちを切り替えると、驚くべき勢いで人生を立て直せる可能性がある生き物です。
 菊池寛と芥川龍之介は、その異なる可能性を描いたように思います。

 今に残る『俊寛』の物語、あなたもぜひ興味のある所からお味わいください♪


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