2026年山一番・郭巨山のおはなし -祇園祭より-

祇園祭について 身近な仏教&京都の習わし
祇園祭物語

 7月10日。通常は今日から祇園祭の鉾立が始まります(2026年から長刀鉾のみ1日早く作業開始)。
 昨年は記憶を頼りに祇園祭のことを書かせて戴きましたが、今年は幾つかの山鉾を紹介してみたいと思います。
 一番、最初にご紹介するのは今年の山一番『郭巨山』です。


郭巨山の2つの特徴
祇園祭・郭巨山

祇園祭・郭巨山

 祇園祭では毎年いくつかのくじ取らずの山鉾を除いて、くじで巡行順序を定めます。長刀鉾の次が山一番とされ、今年は四条通新町の郭巨山が引き当てました。
 郭巨山には他の山にない黒い大きな屋根があります。『日覆い障子の屋根』と呼ばれます。格子障子の切妻屋根(左右2つの斜面が棟で合わさった三角屋根)で、これ故にだれが見ても一目で『郭巨山だ!』とわかります。

 もう一点、郭巨山の特徴で紹介されるのが『乳隠し(ちかくし)』です。『乳』とは、胴掛(装飾品)を山鉾から吊るすための取付部分で、これが外から見えると粋でないため、飾り板で隠します。この飾り板が乳隠しと呼ばれます。この乳隠しの上に欄縁をさらに飾ります。他の山では欄縁が発達し、乳隠しは用いられなくなりましたが、郭巨山の乳隠しは金地に美しい宝相華文様が描かれており、伝統を大切に守られています。
 この乳隠しの伝統が転じて、『母乳の出を守る→子育て・安産』というご利益に繋がり、『御乳御守』というお守りも授与されています。


郭巨山のものがたり
祇園祭・郭巨山の粽(ちまき)

郭巨山の粽

 それではなぜ郭巨山という名になったのでしょうか。

 郭巨は、中国の史話『二十四孝』に登場する人物の名です。時は後漢の初めごろに遡ります。郭巨は、妻と年老いた母、幼な児の4人家族でしたが、貧困の為、とても母と幼い子を同時には養えない・・・悩んだ末、「子はまた生まれるだろうが母は再び得られない。辛いが我が子を捨て、母を養おう」と決心します。妻とも相談し、子を山に埋めようと、泣きながら地面を掘り起こしていたところ、黄金の入った釜が現れ、そこには『天賜孝子郭巨 官不得奪 人不得取』と記されていました。『天、孝行息子の郭巨にこれを賜ふ。官吏はこれを奪ってはならない。何人もこれを取ってはならない』
 この黄金のおかげで、郭巨は子を無事に育てることができ、母にも孝行を尽くすことができたと伝えられています。

 郭巨山の二体の人形は、一つは穴を掘っている郭巨、小さな人形は郭巨の息子にあたります。
 この逸話から郭巨山は開運と商売繁盛のご利益があるとされ、『厄除け粽』には他の山鉾には見られない金運開運の小判のお守りが添えられています。


釜ほり山から郭巨山へ
祇園祭・長刀鉾の祇園囃子 CD

長刀鉾の祇園囃子

 この郭巨山、江戸時代はもっぱら『釜ほり山』と呼ばれていたそうです。しかし明治4年(1841年)に明治新政府の意向で『釜ほり山』という通称は殆ど用いられなくなり、『郭巨山』が正式名称に統一覚ました。これは保昌山(花盗人山)、伯牙山(琴わり山)も同様の対応をされたようです。
 徹底した名称統一の背景には、当時の神仏分離政策の影響と、管理登録制度の近代化があったそうです。祇園祭を『神社にふさわしい厳かで格調高い存在』にするには、釜堀だの、盗人だの、琴割りだのでは相応しくないと判断されたようです。
 またそれまでルーズな面も色濃く残っていた祭りを、京都府などが近代的に管理するにあたって、人によって名称が異なると、行政上の管理や警察の取り締まりに支障や混乱が生じる、というのも事実だったようです。


 祇園祭の山鉾は本気で調べてみるといろいろ物語があり、歴史があるようです。私などは同じ京都と云っても鉾町から遠く離れており、まだまだ知らないことや間違って覚えていることも多くあるように思います。お祭りに行かれる方は、やきそばやりんご飴も楽しいですが、そんな祇園祭の歴史や物語、装飾品の美しさ、山鉾毎に異なるお囃子の音色も楽しんでいただければと存じます。


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