坂本龍一、最晩年を代表する名盤『async』『12』『Opus』。
一般紙や週刊誌では、最後の命を削ったなんて浪花節な表現で紹介されていましたが、実はこの3作。そんな感情論ではなく、もっと突き詰めたような、透き通ったような、少しばかり哲学的な香りさえする作品のように、感じています。
この3作品を文字で紹介することは非常に難しい、というか無理だと思うのですが、少しでも魅力を伝えるあがきに挑戦してみたいと思います。
『async』とは非同期を意味します。
多くの音楽は同期=synchronousの賜物です。異なる音色、異なる旋律が同調し、協調することで『Music』になります。若き坂本龍一が参加したYMOの音楽はまさにこの『同期』の典型と云えます。機械が正確にビートを刻み、テクノロジーの最先端を用いて、すべてが共鳴し、圧倒的な存在感を生んだと云えます。
『async』は違います。彼は『非同期』を選択しました。風の音、人の呼吸のゆれ、水音・・・。不整合なすべての音をそのまま取り入れ、それでも一つの世界観を生み出していく。ノイズさえも呑み込んでしまう荘厳さ。これは『Music』と呼んでいいのか、『Sound』と呼ぶべきなのか。
不思議な感覚ながら名盤に数えられる1枚です。
音に我が身を委ねたというか、ただその日、その時に、聴きたい音、奏でたい音を連ねたという印象があります。少なくとも『Music』を構築しようとしたとは感じられない。事実とは異なるかもしれないが、思うがまま音を奏で、ままに記した音の落書き。
たまたまそれが、『坂本龍一』という音楽の申し子の手になるものだから、結果的に『音楽』であるかのように思う、そんなアルバムです。
ただその一方で、どこまでもどこまでも一音一音を味わい、その消えゆく音の残像、消え去った後の余白さえも愛しむ、それこそ実は『音を楽しむ』行為であり、恣意的に作られた『Music』より、より純度の高い『音・楽』ではないかと感じる自分がいます。
『async』より言葉にしづらく、より感性で楽しむ作品のような気がします。
『Opus』とは、ラテン語で『作品』を意味します。この『Opus』で坂本が演奏した曲は20曲。YMO時代の『Tong Poo』のソロピアノ ver、亡き友ベルトルッチに捧げた未発表曲『BB』、名曲『Merry Christmas Mr. Lawrence』『The Last Emperor』・・・それは坂本龍一が歩いてきた音楽の道のりです。
この道のりを、彼は愛用のヤマハ・グランドピアノで、丁寧に、一音一音、大切に大切に、奏でます。闘病後の作品『async』や『12』で見せた音の余韻を、音なき世界にも音を感じる演奏です。
坂本さんは晩年『芸術は長く、人生は短し』という言葉をよく引用されたと聞いています。ending曲『Opus』は彼が立ち去った後、自動演奏ピアノによって演奏されます。
坂本龍一はこの世の何処にももういませんが、音楽は残りました。彼が残した音楽は今も、なにかを伝え続けています。

彼=坂本龍一が綴られた音楽の世界が、どういうものだったのか・・・これは言葉にするのは難しく、言葉にすべきでもないのかもしれません。感じるものであり、心から溢れてくるなにかかもしれません。
時に私は、自分が上手く表現できていないほど多弁になります。それはこれも伝わっていない、伝えきれていないと実感するから。時に芸術は、聴くことでしか、視ることでしか、食べることことでしか、触れることでしか、感じられないことがあるのでしょう。
坂本龍一晩年の名盤たちは、そんな作品だと、私は感じています。






