薩摩琵琶で弾き語る『耳なし芳一』・・・小泉八雲の世界

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 朝ドラ『ばけばけ』の高視聴率をうけて、小泉八雲の代表作『耳なし芳一』を薩摩琵琶で弾き語る映像作品(DVD)の販売を開始しました。
 『耳なし芳一』は、盲目の芳一と平家の怨霊が織りなす、凄惨ながらも静謐な美を描いた作品です。芳一が奏でる美しい琵琶の音に引き寄せられた亡霊に誘われるまま、貴き身分の方の元へ赴いた芳一は、求めに応じ、平家物語・壇ノ浦の段を弾き語ります。人々は涙を流し、嗚咽を重ね、琵琶の音に心を溶かせます。その後、毎夜、毎夜、呼び出さる芳一でしたが、日に日にやつれてゆき・・・。という話です。


耳なし芳一って普通の『怖い』となにか、違うの?
薩摩琵琶・弾き語り -耳なし芳一-/ 岩佐鶴丈(DVD)

薩摩琵琶・耳なし芳一

 『耳なし芳一』をはじめ小泉八雲の怪談が、現代の怪談=怖い話と一線を画す理由は、その『静謐の美』と、『姿なき者への慈愛』にあります。現代の怪談は、驚きや不安からくる『不条理な恐怖』を根源とし、『視覚的/映像的なインパクト』を重要視します。一方、八雲が綴る、恐怖の根源は、重ねられてきた私たちの業や、心の有り様に深く結びついています。
 例えば『耳なし芳一』では、芳一の琵琶の音が、亡霊たちと共鳴します。『平家に非ずんば人に非ず』と云われた一族があっという間に滅びの道を辿ります。怨みをも超えた哀切、未練、悔恨が、琵琶の音に溶け出し、抒情詩的な美しさを生み出します。
 本来は恐怖の対象でさえある『姿なき者』への共感こそが、恐怖の源となるのです。

 小泉八雲の『姿なき者』への共感には、彼の生い立ちが深く関わっています。彼はギリシャで生まれ、アイルランドで育ち、19歳で渡米しました。両親とは幼くして死に別れ、住居を転々とする中で、彼は孤独と流浪を感じつつ生きたのかもしれません。孤独は人を空想と不安の世界に誘います。ギリシャ神話に、北欧ケルト神話に、アメリカではフランスや中国の神話や怪談にのめり込んだ八雲が、日本の民族伝承や神話にシンクロしたのは必然だったのでしょう。
 さらに今回、八雲と物語を結び付けたのは、妻の小泉節子でした。心身とも深く結びついた存在から口伝で伝えられた物語は、より深く八雲の心に届いたのではないでしょうか。

 小泉八雲の『怪談』は単なる怖い話ではありません。それは『姿なき者』=未知の存在への不安と共感が生み出した産物だったと思います。それ故に、恐怖だけでなく、哀れを伴い、それゆえに美しく耽美。文学的であり、心理的な恐怖へと昇華されたのではないでしょうか。


薩摩琵琶の魅力とは

 薩摩琵琶は、もともと平家琵琶(盲僧琵琶)を基盤に、16世紀後半に独自の発展を遂げました。鎌倉時代から薩摩守護として君臨した島津氏の庇護のもと、武士の教養・精神鍛錬のために用いられ、語りの内容も武勇・忠義・死生観へと特化していきます。後に『薩摩節』と呼ばれる、鋭い撥さばきと緊張感のある語り口です。
 これは同時期に福岡で発展した筑前琵琶とは対照的でした。筑前琵琶が、女性奏者の活躍や舞台芸能としての洗練を進めたのに対し、薩摩琵琶はあくまで精神性・迫力・語りの骨太さを守り続けました。『武の薩摩・華の筑前』と呼ばれる所以です。
 薩摩琵琶の魅力は、その武の気風を帯びた力強い語り、低く太い音色と鋭い撥さばきにあります。武士の気概や死生観を、義士伝・武勇譚で弾き語ります。音の立ち上がりが速く、緊張感があると云われます。薩摩琵琶を評して『静けさの中の緊張』『物語の芯を鳴らす音』という人もいるぐらいです。


 音楽を言葉で伝えようとすると、私のような稚拙な文章力では、
「兎も角、聴いてみてください」という言葉になりがちです。残念ながら、今回もそうなります。私と同じように感じるか、世の最大公約数の方と同じように感じるか、はたまた異なる印象を持たれるか…。
 ただ何百年も受け継がれてきた音色ですから、そこには必ず生き残った理由や、かけがえのない存在感があると思います。好き嫌いは聴いた後にしていただき、先ずは試しに薩摩琵琶の世界、小泉八雲の世界、を楽しんで戴ければ、うれしく思います。
m(_ _)mペコッ


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