カセットテープ版で、たくさんの方にご聴聞戴いた
『御法のなかま(みのりのなかま)』シリーズのCD化が完了いたしました。
仏教法話『御法のなかま』 CD全10巻 / 分売可能
全10巻のタイトルとご法話戴いた先生は下記の通りです
■ み教えに生きる (朝枝思善)
■ ご本願に生きる (日野振作)
■ 浄土はあるのか (山田行雄)
■ 己を灯となす (雑賀正晃)
■ まことの教え (清胤徹昭)
■ 命 華やぐ (足利孝之)
■ あみださま (藤田徹文)
■ 両手にうける (浅井成海)
■ 光いのちとなる (霊山勝海)
■ 心のふれあい (瓜生津隆真)
生きることは楽しいことも多い一方、辛いことも後を絶ちません。お寺さまのお話では、人間には欲があるから苦しいのだそうです。「もっとお金が欲しい」「もっとカッコよく、もっと美しく生まれたかった」「もっといい連れ合いに巡り合いたかった」など、私たちの欲望には限りというものがないようです。
欲がなければ、嫉妬もせず、卑下もせず、もちろん傲慢になることも、人と比べていら立つこともありません。生きる苦しみの大半は、他人との比較から生まれるのかもしれません。
ならば、人と比較せず、欲を持たなければ心穏やかに生きられるわけですが、問題は私たちが人間であることです。
人間は欲を持つ生物です。映画『仁義なき戦い 広島死闘編』で千葉真一演じるやくざが次のように言い放ちます。
「わしら、うまいもん食うて、マブいスケ抱くために、生まれてきとるんじゃないの」
下品といえば下品な台詞ですが、人間の生物としての本質はまさにこれにあります。
ですから、私たち凡夫は、いつまでも欲を捨て去ることなどできない、捨てたと思っても直ぐに新たな欲が生まれてきます。
そこで私たちは阿弥陀仏のお慈悲に救いを求めることになります。
浄土三部経には、阿弥陀さまが『すべての人を苦しみから救い、必ず浄土へ生まれさせる』という誓いを立て、仏となられたことが記されています。つまり阿弥陀さまのご本願により、既に救われている私たちは安心して、懸命に日々を生きればいい、心配などしなくてもいい、と大雑把ですが、これが浄土真宗さまや浄土宗さまの教えの大意だと聞いております。
ただ、それこそ凡夫である私たちは、この阿弥陀さまにお護り戴いていることさえ、ともすれば忘れてしまう。そこで繰り返し聞法=仏法を聞くことで、心の奥底まで阿弥陀さまのお慈悲を戴く吾身であることを承知させることが肝要だと云われています。
『御法のなかま』を吹き込んで戴いた10人の先生も皆、私たちと同じ凡夫だったろうと存じます。先生方もまた、私たちにご法話戴くと同時に、自らにも語り掛けておられたのではないかと思います。
第4巻『己を灯と為す』を吹き込んで戴いた雑賀正晃先生は和歌山の先生でした。私はこの先生の最後の録音に同席させていただきました。『親鸞聖人に導かれて』という全10巻のシリーズでした。先生は当時、既に重い病を抱えておられ、死期をご存知でした。最終巻の録音はまさに遺言、深いご信心の発露だったと感じております。
『己を灯と為しなさい』
この言葉はお釈迦さまが入滅の際、弟子のひとりにかけられた言葉だそうです。
「私はこれまであなたさまを灯に生きてきました。これからは誰を灯に生きればいいのか」と問うお弟子に、お釈迦さまは
「自己を師とし、自己を灯とせよ。法を師とし、法を灯とせよ」と応えられたそうです。
他の中にも『仏』はいるが、自分の中にも『仏』はいる。このご法話をお聴き戴くことで、あなたと共にある『仏』に気づいて戴ければ、という思いで制作されたシリーズです。




