YOASOBIのヴォーカル、ikuraのソロアルバム『Laugh』が(弊店では)予想より好調な出足を示しています。
CD1枚の通常盤と、おまけCD付の初回限定盤がありますが、ファンの方には、断然初回限定盤がオススメだと思います。
差額1,000円で、幾田が参加したトリビュート楽曲やコラボ楽曲から厳選18曲が余分に楽しめます。
詳細確認&ご注文
幾田りらとikura、最も大きな違いは歌手としてのスタンスです。
YOASOBIの「ikura」はやはりヴォーカルという一つの楽器、Ayaseの音楽イメージを実際に具現化する『表現者』といえます。もちろん、決して単なる道具と云う意味ではありません。Ayaseの描く物語を実現するには、ボカロ特有の高難度なメロディを正確に乗りこなす類稀な『技術』と、物語を自らのものとし主人公を演じ切る『共感力』が必要となります。
一方でシンガーソングライターの幾田りら。まさに自身の内面を吐露すると同時に、自分自身にも問いかける。日常の機微や自身の葛藤を言葉に乗せて、私はこう思うよ、こうなんだよと伝えます。結果、その歌唱は息遣いや声の揺らぎを活かし、より人間味のある歌唱になっていきます。
YOASOBIの「ikura」の存在を、彼女自身が意識している部分もあるかもしれません。ソロではより自身の内面や音楽性を表現する楽曲が増えています。幾田自身の作詞作曲ですから、自ずからパーソナルな感情をストレートに歌に乗せて表現することになります。歌詞に込められた彼女自身の思いを、丁寧に伝える歌唱です。
透き通り伸びやかなハイトーン、美しいファルセット(裏声)、豊かな表現力、こうしたikuraでも見せる彼女の優れた歌唱技術は、YOASOBIで歌うときとは異なる使い方で活かされています。意識して使い分けているかどうかはよくわかりませんが、やはり歌う歌の内容、自らが求められる役割、によって『技術』の使い方が変わるのは当然のことだと思います。むしろ自在に応用ができ、もっとも効果的に活用できる『歌唱技術』を持っていることに幾田りらの歌の魅力があると思います。
『半径3メートルの日常』・・・なにげない日常に潜む、きらいな自分や拭いきれない胸の葛藤。だれもが経験するありふれた日常を切り取り、等身大の言葉で歌うことで、リスナーは自分の経験に置き換えることができます。
幾田自身は自問自答を繰り返し、自らにエールを送り続けているとしても、リスナーはそれを、たやすく自身への応援に置きかえることができます。リスナーの感想に『寄り添ってくれている気がする』という言葉があります。そういうことなのではないでしょうか?

今、幾田りらの歌は、歌の本質的な魅力に迫りつつあるのかもしれません。
幾田は、言葉の響きをとても大切にする歌手です。韻を踏んだり、母音の響きを意識したり、メロディにこの言葉が乗ったら心地よく聞こえるのかどうか?
そこにこだわることで、言葉がメロディと共にスゥッと耳に残っていく、口ずさみたくなる、という詞と曲の幸せな出会いが生まれます。
日記のような親密さと、音楽的な心地よさの共存させた、幾田りらの歌、ぜひお楽しみください。




