お彼岸の話(1)-由来-

お彼岸の話 時代劇&歴史ネタ
お彼岸の話

本日は秋分の日。

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お彼岸物語 & お彼岸ってなあに

この秋分の日を中日として前後3日間の1週間を『お彼岸』と呼びます。
お彼岸とは、仏教的には迷い多き此岸に対し、悟りと涅槃の境地である彼岸という意味合いがあり、民間習俗としては先祖供養を行う期間とされています。
(ちなみにお彼岸は春にもあり、春の彼岸は春分を中日に前後3日間となります)

さて、このお彼岸ですが、墓参りの慣習は江戸時代ごろに庶民の間に定着したと云われています。
ただ、お彼岸自体の起源は滅法古く、1200年前、桓武天皇とその異母弟・早良親王の諍いに遡ります。
桓武天皇・・・そうです!『鳴くよウグイス平安京』の桓武天皇です。

桓武天皇という御仁はなかなかの切れ者だったと云われています。
当時の平城京では、仏教寺院の政治介入が通常で、律令制度の正常な運用が危うくなっていました。
そこで桓武は平城京から遷都することで政教分離を徹底しようと考え、遷都を思いついたのです。
若い頃に大学頭など官僚としても活躍した彼は政治家として冷徹で鋭敏な感覚を持っていました。
一方、桓武天皇即位に際し、立太子された弟・早良親王も聡明で学問にも通じた方だったようです。
若くして出家し『親王禅師』と讃えられる高僧でした。


ところが、この二人に諍いが生じます。
平安京遷都に遡る約10年前の785年。
平城京から長岡京への遷都を進める中、計画の中心人物だった藤原種継が暗殺されます。

捜査の結果、多くの貴族や僧侶の名が挙がりましたが、その中に東大寺と縁が深い早良親王の名もあったです。
今となっては事の真偽は不明ですが、桓武は怒り、親王を廃嫡。淡路への流罪と断じます。
無実を訴える親王は、反抗の断食を決行し、数日後には餓死するに至りました。

悲劇はこれで終わりませんでした。
桓武天皇の周囲に不幸が絶え間なく起こり始めたのです。
妻たちの死、早良に代わり立太子された桓武の嫡子・安殿親王の病、母の死、都での天災や疫病の発生・・・。
度重なる不幸の連続に、桓武は長岡京を捨て、平安京に再遷都。
さらに淡路島に埋葬済の早良親王の躯を都に改葬し、『崇道天皇』と追号。崇道神社、御霊神社を建立し、お祀りしたわけです。
それでも桓武天皇の不幸は納まらず、延暦25年(806年)4月9日、遂に崩御されました。享年70歳。

死の間際、桓武天皇は祈祷に集まったお坊さまや陰陽師に言葉を遺されました。
「春と秋の2回、崇道天皇の御霊を鎮めるため、お経を詠んでほしい・・・」
これが、今のお彼岸詣りの起源となっていると云われています。

その後、『怨霊を神として祀ることで、守護神とする』=御霊信仰が人々の間に染みわたります。
「死者を祀ることで、未練を残した人々も神仏となり、私たちを守ってくれる」という先祖崇拝も生まれていきます。
人間は悲しいもので、どれほど懸命に尽しても、身を粉にして対応しても、非難や陰口は後を絶ちません。
自らの道のりが情けなく、無意味に感じることも正直あります。
そんなとき死者と云えど、自分をきちんと見てくれている存在、それはとても心強いものです。
先祖崇拝は先祖のためでなく、自分自身のために。それも墓参りの大切な一面なの阿もしれません。

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