話題の映画『国宝』を楽しんできました。
一言で云うと『きれいな“美”の映画』と感じました。
テレビで絶賛されていた吉沢亮さん、横浜流星さんの歌舞伎の所作。
カット割りができる映画だから可能だったのかもしれませんが、とても美しく感じました。
『曽根崎心中』。鬼気迫る台詞から、逃亡、そして死に至るまで。
特に横浜流星演じる半弥がお初を演じるシーンは、まさに命をかけて舞台を務める・・・その半弥の覚悟を共に背負おうとする三代目・半二郎(吉沢亮)の友情と勇気を感じることができました。
カット割りができる映画だから可能だったのかもしれませんが、とても美しく感じました。
『曽根崎心中』。鬼気迫る台詞から、逃亡、そして死に至るまで。
特に横浜流星演じる半弥がお初を演じるシーンは、まさに命をかけて舞台を務める・・・その半弥の覚悟を共に背負おうとする三代目・半二郎(吉沢亮)の友情と勇気を感じることができました。
ラストの三代目・半二郎の『鷺娘』。
これは最初の方の田中泯さん演じる万菊の『鷺娘』とリンクすると同時に、
恋に苦しみ地獄に落ちた鷺娘の運命と、
「歌舞伎を極められるなら悪魔にその他のすべてを譲る」
と祠に祈った若き日の半二郎、その後の人生を重ね併せたシーンだったと思います。
「こいつはきれいや・・・」その一言に尽きました。
これは最初の方の田中泯さん演じる万菊の『鷺娘』とリンクすると同時に、
恋に苦しみ地獄に落ちた鷺娘の運命と、
「歌舞伎を極められるなら悪魔にその他のすべてを譲る」
と祠に祈った若き日の半二郎、その後の人生を重ね併せたシーンだったと思います。
「こいつはきれいや・・・」その一言に尽きました。
もちろん、「・・・」と感じる部分はあります。
全篇通じて吉沢亮演じる三代目・半二郎と横浜流星演じる半弥の運命がシーソーのように揺れ動くのですが、たった3時間の映画の中であまりに上下します。
落ちたところから上がるまでが不自然なほど一瞬で、少し奇異に感じました。
一方で数人の映画評論家が仰っているようですが、アップが多すぎる、という指摘は私は気になりませんでした。
近頃は心の内や設定を全て言語化しようという映画やドラマが多い気がするのですが、『国宝』ではけっこう目やそぶりで観客にも伝えようとするシーンが多い気がしました。
そうなると眼や眉や指先や、細部に思いが宿るので、当然アップが多くなる、と思うのです。
大体、私たちは自分自身の気持ちさえ全て言語化できるわけではないと思います。
自分さえ気づかない嫉妬や怒り、連帯や労りが表情やなにげない行動に現れます。
すべてを言語化できるほど人間は単純ではいられないと思います。
ただ、無理な言語化をしなかった『国宝』のスタイルを私は好きですが、
海外上映の際、アキレス腱にならないかな?という気はします。
海外の人は日本好きの方でさえ、私たちとは異なる文化や環境で生まれ育ち、異なる感性を持っておられます。
目は表情やそぶりで私たちと同じ印象を持つかどうかは非常に怪しいと思います。
そこは挑戦なのかな?と思います。
近頃は心の内や設定を全て言語化しようという映画やドラマが多い気がするのですが、『国宝』ではけっこう目やそぶりで観客にも伝えようとするシーンが多い気がしました。
そうなると眼や眉や指先や、細部に思いが宿るので、当然アップが多くなる、と思うのです。
大体、私たちは自分自身の気持ちさえ全て言語化できるわけではないと思います。
自分さえ気づかない嫉妬や怒り、連帯や労りが表情やなにげない行動に現れます。
すべてを言語化できるほど人間は単純ではいられないと思います。
ただ、無理な言語化をしなかった『国宝』のスタイルを私は好きですが、
海外上映の際、アキレス腱にならないかな?という気はします。
海外の人は日本好きの方でさえ、私たちとは異なる文化や環境で生まれ育ち、異なる感性を持っておられます。
目は表情やそぶりで私たちと同じ印象を持つかどうかは非常に怪しいと思います。
そこは挑戦なのかな?と思います。
あらすじの記載はやめときたいと思います。
ネタバレとかそういうことではなく、この映画はそれぞれのシーンで登場人物各々が本当はどう感じているのか、
それは一つではなく、いくつもの感情が重なり合っていることが多いのですが、
それを感じ取るのが楽しい映画だからです。
私が印象に残っているのは、寺島しのぶさん演じる幸子に、三代目・半二郎が別れの挨拶をするシーンです。
幸子は二代目・半二郎(渡辺謙)の妻であり、半弥の実母であり、半弥と三代目・半二郎の踊りの師匠でもありました。
彼女は三代目が11歳で内弟子になって以来、親代わりにもなり、師匠としても育ててきました。
その才能を認めながらも、実子である半弥が襲名すべきだった『半二郎』の名を結果として奪い取った三代目・半二郎への憎しみは確かにありました。
けれど同時にたぶん愛情もあったはずです。
二代目・半二郎改め白虎の突然の死をきっかけに、実子・半弥の復活、週刊誌の暴露記事、さらには身の不始末にて歌舞伎界を追われることになった半二郎への複雑な思いを、幸子は孫への愛情という形で蓋をします。
この映画はそういう人間の複雑な感情を感じ取ることに醍醐味があると思いました。
幸子は二代目・半二郎(渡辺謙)の妻であり、半弥の実母であり、半弥と三代目・半二郎の踊りの師匠でもありました。
彼女は三代目が11歳で内弟子になって以来、親代わりにもなり、師匠としても育ててきました。
その才能を認めながらも、実子である半弥が襲名すべきだった『半二郎』の名を結果として奪い取った三代目・半二郎への憎しみは確かにありました。
けれど同時にたぶん愛情もあったはずです。
二代目・半二郎改め白虎の突然の死をきっかけに、実子・半弥の復活、週刊誌の暴露記事、さらには身の不始末にて歌舞伎界を追われることになった半二郎への複雑な思いを、幸子は孫への愛情という形で蓋をします。
この映画はそういう人間の複雑な感情を感じ取ることに醍醐味があると思いました。
なんか下手な感想文になってしまいました。
『国宝』を見たことがない人には「なんのこっちゃ」の文章ですよね。
たぶん読書感想文的に評点すれば赤点レベルです。
でも、この映画はあらすじを追っても、意味がない・・・というかそれではもったいない映画です。
何が正しいか、何が正しくないかではない。
ただ多くの犠牲や涙や苦悩の末に、『至高の美しさ』が残ったということ。
そしてその『美しさ』は多くの人が今日、ここにいてよかった!と思う『美しさ』だということ。
それを感じる映画だったと、私は思います。

追伸 本作の記事はもう1回書きます。
『国宝』に登場した歌舞伎の演目のことを少し紹介させて戴く予定です。


