浪曲(浪花節)という演芸をご存じだろうか?
明治から昭和初期に日本で最も人気があった大衆芸能で、三味線の伴奏に合わせて物語を語る、謂わばメロディーに乗せたドラマティックな独り芝居だった。
その人気は型破りで、それを証明するいくつもののデータが残っている。例えば次のようなものだ。
▷ 1935年頃、広沢虎造『石松三十石船道中』が異例の100万枚セールスを突破。
▷ 1932年のラジオ趣向調査で、浪曲が全ジャンル中で支持率1位(57%)を獲得。
▷ 1943年には全国で、約3,000名の浪曲師が存在したという記録が残っている。
『石松三十石船道中』は「食いねぇ、食いねぇ、寿司食いねぇ」の名文句で知られる演目だ。
浪曲そのものは聴いたことがない世代でも、この台詞には記憶がある、という方も多いだろう。
また浪曲の演目を下敷きにした映画も年間数十本に達したと云われている。
例えば『国定忠治』『清水次郎長』『赤穂浪士』は戦後になっても映画や時代劇ドラマの主要な題材だった。
浪曲師も、先述の広沢虎造をはじめ、玉川勝太郎、春日井梅鶯、東家浦太郎、寿々木米若など人気浪曲師が目白押し。
大衆娯楽の花形と言っても過言ではない黄金期を迎えていった。
それでは、この人気抜群だった浪曲がなぜ、「聞いたこともない」「なに、それ?」と言われる状態に落ち込んだのか?
理由はいくつもあり、複合的だと思われるが、大きくは下記の5つだろうか?
テレビの普及に伴い、昭和30年代ごろから映像付の娯楽が主流になった。
ラジオ時代には、音だけで想像を膨らませる浪曲が人気だったが、映像の魅力を活かしたドラマや歌番組、新喜劇やバラエティ系お笑い番組に移っていった。
経済成長の結果、人々の生活リズムがスピードアップし、ゆっくり浪曲を楽しむ時間が取れなくなってきた。
加えて浪曲の人気演目には『義理』『人情』『仁』『忠義』など、旧来の道徳観に基づく作品が多かった。
戦後の民主主義教育のもと、このような考えをあからさまに「古くさい」「時代遅れ」と卑下する者もおり、特に若者との断絶が起こった。
浪曲そのものの、テレビやラジオでの放映機会が大きく減少し、若年層の浪曲離れに拍車がかかった。
『義理人情』や『任侠心』といった浪曲の情感は、次第に演歌や歌謡曲、ドラマや映画に移り、浪曲は主役の座を明け渡し、『素材提供者』に退いていった。
先述の人気根多『清水次郎長』『国定忠治』『赤穂浪士』などは明治から大正にかけて成立した。
この演目の人気があまりに高かった故に、かえって新作の開発が進まず、マンネリ化が進行した。
玉川福太郎や神田山陽らはさまざまな挑戦を試したようだが、大きな流れにならず、次第に大衆の支持を失った。
落語が現代風の演出を取り入れ、漫才が音曲漫才からしゃべくり漫才、コント漫才へと進化する中、伝統を守ることに固執した浪曲は、若者の支持を失い、入門者減を起こした。
さらに村田英雄や三波春夫、二葉百合子など浪曲を捨てないまでも、演歌や歌謡曲に軸足を移すものも現れた。
京山幸枝若は浪曲に、歌謡曲、河内音頭、江州音頭などを加えたマルチエンターテイナーとして活躍し始めた。
全盛期には3,000人を超えた浪曲師だが、今は芸が未熟なものを含めても100人を切っているとさえ言われている。
浪曲(浪花節)はつまらない演芸では決してない。
物語や歴史が好きな人なら特にワクワクするのは間違いない。
CDに遺された音源を聴けば、初代・京山幸枝若も含め、広沢虎造、春日井梅鶯、東家浦太郎、寿々木米若、天津羽衣、当時は若手だった二葉百合子だって見事な芸を楽しませてくれる。
ただ、それでも人気復活は茨の道だろう。
失礼ながら若い演者に、講談の神田伯山のようなキラリと光る革命児が、私には見当たらない。
失礼を承知で言えば、『鳥なき島の蝙蝠』のようにライバルがいないから、浪曲師を選んだのかと思うことがある。
時間の制限があるのはわかるが、一番の聞かせ処、泣かせ処をバッサリ省略してしまう方さえいる。
そこ切ったら、この演目演じる意味がないじゃないか!と頭を抱えた。
人間国宝になられた二代目・京山幸枝若のような方がもう少しおられれば、と思う次第だ。
きつい言い様ではあるのだけれど、浪曲、頑張ってほしいと願うのは私だけではないだろう。
《ご参考》
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